クリエイターズ ラボ

小さな積み重ねと遊び心で、新しい価値を創造する。

頑張るは、最高のエネルギー。

おはようございます。

たっしーです。

 

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皆さん、日々仕事や勉強、家事や趣味など何等かを通じて頑張っておられると思います。

自発的にせよ、他人から要請されるにせよ、頑張るということは、自分の中のエネルギーを何かにつぎ込む素晴らしい行為です。

自分のエネルギーによって、誰かが幸せになっていく。または自分が今頑張ることで将来の自分が満たされていく。そう、頑張ることは他者を幸せにし、自分を成長させる素晴らしい行為なのです。

 

昨今、頑張らないで幸せになるというフレーズが一部で流行しています。それ自体を否定はしませんが、その言葉だけを鵜呑みにすると、折角の自分の成長の機会をも失ってしまう可能性があるな、とも感じています。もったいないです。

 

頑張らないで幸せになると唱えている人は、「頑張るべき場面」「頑張らなくていい場面」の区分けができて、その上でお話されていると思うので、そこは何も問題ないと思います。

 

で、受け取る側の人たちは、ブログや書籍などで書かれている内容を見て、自分の中でよく考える人はいいですが、頑張らなくていいんだと言葉通りに受け取ってしまう方もいらっしゃいます。思考を重ねることに慣れているか慣れていないかにもよります。

 

ブログや書籍を書いている人は自分の経験を通して知りえたことを書いているのですが、どうしても深いところや感覚的なところを正確に伝えるには、ブログや書籍は限界があります。

 

書いた本人に会いに行って直接の言葉を受け取ると、受け取る側のニュアンスも全然違ってくるのですが、時間がとれなかったり、距離が離れていたり、タイミングが合わなかったりと、行動に踏み出せない方も大勢いると思います。

 

会いに行くと本当に、本物か偽物か、自分の感性との相性など感覚的につかめますし、例え合わないなと思っても学べることも多くあると思います。手間暇かけて会いに行くには、会いに行くだけのメリットはあります。

 

忙しくて、頑張っていることに苦痛を感じている状態だと、「頑張らなくても幸せになれるんだ」と書き手のメッセージを自分の都合のいいように受け取ってしまいがちです。思い込みの激しい場合、頑張ることに嫌悪感さえ抱いている場合もあります(ブログを見ているとたまにそんな方もいます)。

 

そういう書き込みを見ると、違うな、残念だなと思ってしまいます。確かに頑張りすぎて、心も体も疲れ切った状態では、頑張ることを止めて自分に休息を与えたり、自分にご褒美を与えたりすることは、とても意義あることです。基本的に私も自分を慈しみ、大切にすることに賛成します。

 

そして、頑張ることがいい事から苦通に変わるのは、他人と比較した時です。

 

①友達が頑張っているから、私も頑張る 

②同僚が早く帰ったから、私も早く帰りたい

③同僚が残っているので、もう少し仕事する

④今日中に、この仕事を終わらせなければならない

 

この中で、苦痛を感じるのは②と③なのではないでしょうか?

 

頑張るの方向性が同じだと相乗効果を生みますが、ベクトルが違ってくると負の感情が頭をもたげてきます。そうなるとモヤモヤする気持ちが頭を占めてしまい、他のことは苦痛になってしまいます。

(余談ですが、コミュニケーションがとれて本人が納得していれば、②と③も全然問題になりません。コミュニケーションをとるのが上手な人や職場にそういう人が1人でもいると、みんなのモヤモヤは軽減され、職場の雰囲気が悪くなることはありません。ただ、その人にみんなが依存しだした場合は、注意が必要になります)

 

他人はあくまで他人。何かしてもらったら「ありがとう」、迷惑をかけたら「ごめんなさい」気持ちを伝えるに留めて、何かあれば手伝うのはいいけれど、必要以上に意識し過ぎない状況(適度な距離を保つ)を意識してみることは大切です。

 

そうすると純粋に自分の頑張るに集中でき、頑張っている自分に寄り添うことができれば、頑張る行為の素晴らしさを感じることができると思います。

 

頑張ることは、他人に、自分に、持っているエネルギーを注ぎ込むことです。

他人と自分を幸せにする活動です。

苦しい時もありますが、どうか頑張ることを勘違いせず、肯定的に捉えて邁進してほしいと思います。

 

世界中の全ての頑張る人が幸せになれますように。

では、また。